日本泳法

日本泳法、水府流太田派について

日本泳法、水府流太田派について

◆日本泳法とは

日本泳法とは、武芸の一つとして古くから伝えられてきた泳法です。
海や川、池などの様々な自然環境に合わせて、その目的別にいろいろな泳ぎが生まれました。
通常の泳ぎ以外に、長距離を泳ぐため、身を守るための泳ぎ、水中戦闘、更には泳力を誇示するための
華々しい泳ぎなどもあり、かつては武士のたしなみとして重んじられていました。

(出典:(公財)日本水泳連盟 日本泳法より)

 

◆日本泳法の流派

日本泳法は、発祥地により、様々な流派が存在しています。
(公財)日本水泳連盟が主催する日本泳法大会には、13流派を正しい伝統と深遠な由緒を持つ流派として、参加出場しています。

-流派一覧-
流派名発祥地主な分布地区
神統流鹿児島鹿児島
小堀流踏水術熊本熊本、長崎、京都、東京
山内流豊後臼杵臼杵
主馬神伝流伊予大洲大洲、松山
神伝流松山津山、東京、広島、岡山、全国
水任流讃岐高松高松
岩倉流和歌山和歌山
能島流和歌山近畿
小池流和歌山東海、近畿
観海流伊勢津、伊勢、関西一円
向井流江戸東京、会津、北海道
水府流水術水戸水戸、東京
水府流太田派江戸東京、全国

(出典:(公財)日本水泳連盟 日本泳法流派一覧より)

 

◆水府流太田派とは

流祖太田捨蔵(1831年~1892年)は元水戸藩士で、水府流上町泳ぎを習得後、
江戸講武所に入り、諸流を研鑽して、講武所の三傑といわれた。
明治11年(1878年)、太田は講武所の同志と隅田川浜町河岸に「水府流太田派道場」を開き
一派を建てた。これが水府流太田派の起源である。
太田は各流派の泳法を研究し、その長所を取り入れ、水府流に太田の独奏を加え、あらゆる水勢に適応できる実用の游泳術を創案し、「大日本游泳術」とした。
太田の遺稿をもとに、高橋雄治らが出版した「日本游泳術」増補改訂大日本游泳術」は同流派の教書である。4代本田存が、東京高等師範学校で指導したことから、全国の学校を通じて広く伝播し、現在の日本泳法の中で、その游泳人口は一番多い。
この流派は水府流水術をもとに、諸流の長を採り短を補い、整理したものであるから、いきおい泳法の種類が多くなっている。

(出典:(公財)日本水泳連盟 日本泳法概説より)